于勒の生涯

于勒は元來大加耶國人であり嘉實王の寵愛をうけ, 王の命を受けて12絃琴(加耶琴 )を作曲し、 この樂器の演奏曲として12曲を作った。彼は550年を前後とするある 時期に新羅に投降した。 弟子の泥文とともに娘城に住んだが551年(眞興王12)に 眞興王が忠州にいる河臨宮に立ち寄った時泥文とともに王の前に出て3曲を作り演 奏した。かれの演奏に感動した眞興王の命令で552年大奈麻・ 階古と法知そして 大舍萬??等3人各各加耶琴, 歌, 踊りを??えた。その後眞興王が加耶琴曲を宮中音 樂として作ったが, 河臨調・嫩竹調の2調ができて全部で185曲の加耶琴曲が殘る ようになった。

于勒が大加耶で作った12曲は『上加羅都』 『下加羅都』 『宝伎』 『達己』 『思勿』 『勿慧』 『上奇勿』 『下奇勿』 『獅子伎』 『居烈』 『沙八兮』 『爾赦』等で, こられの曲の名称は大部分当時の 郡・ 縣の名前からとってきた もので該当する地域の民謠??究に肝要な資料となっている。忠州の琴休浦と彈琴 臺は全部 その名称が于勒から由來したという。