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大加耶の社會
近代以前の社會では人間はすべて平等な關係ではあり得なかった。大加耶の社會
も人と人の間に不平等が存在した。不平等を公式的に制度化したものが身分制度
である。大加耶の身分制度を具体的に調べることのできる資料はない。しかし 身
分により服の色がちかうという公服制が施行されていたことが確認されており,
上首位等のような官職の名称が見られるため身分制度が存在したことは充分に豫
想することができる。このような身分制度は大加耶が全盛期に達した5世紀末以後
〜6世紀初ごろに整備されたようだ。
大加耶の構成員のなかで最上位の階層は言うまでもなく大加耶王と王族であった。
これらはその王都である高靈地域を見下ろす位置に巨大は墳墓群を造成し,死後
にも生前と変わりなく大加耶の内で最上層の存在であることを誇示した。
最上層の下には傍系の王族等の貴族層が存在した。これらの貴族層には旱岐層と
首位層があり、旱岐層と首位層もそれぞれ旱岐-下旱岐(次旱岐)と上首位-二首位
に階層が分化されている。そして征服地の支配階層もこの階層にくみこまれた。
池山洞古墳群の主稜線に造成された墳墓より支線にある墳墓の規模がもっと小さ
いが, おそらく主稜線には王および直系王族・ 支線にはその下層の貴族たちが埋
められたのだろう。
下位階層としては一般民が擧げられる。これらは大加耶の構成員のうち最も高い
比率を占めたが、攝取と力役動員の對象として國家の根幹をなす存在だった。主
に農耕に從待する自由民たちとして『日本書紀』に出てくるように相e自耕之窒??sな
い、築城作業にも動員された。これらは自分が屬する地域の首長と大加耶の國王
に二重に隶屬したのである。
これらは一般民より社會的地位がもっと低い存在としては集團賤民と奴業等が擧
げられる。大加耶もやはりほかの國とおなじく領域を擴大していく過程で征服し
た地域民を全体的に集團賤民化する場合があったと推定されるが, 史料上は確認
できない。しかし社會の最下位階層である奴僕層は考古學な資料を通じてその存
在をうかがうことができる。池山洞44・45号墳に土器等の物品とともに副葬槨に
何人か一??に埋葬された殉葬者の一部はまさに家族生活も營爲できないまま物の
ように扱われた奴僕たちであった。これらが大加耶社會での最下位階層であった。
勿論 殉葬者を全部 奴婢と見ることはできない。
上記のように大加耶社會は大体四階層の身分が存在した社會だったことがわかる。
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