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小國の成立
この地に住み始めると同時に人々は集團を成して暮らし始めた。このたちが定着
して巣ラ窒??`成するようになるが, そういったムラを聚落と呼ぶ。 新石器時代
に登場した聚落は??銅器時代に近づくと農業の發達, 特に稻作の開始と剩餘生産
物の發生, 人口の??加等いくつの要因のために徐々にわっていた。その結果多數
の聚落が結集したり,または密接な關係を結びつつひとつの政治的・經濟的單位
を至るようになったが, これが邑落である。
邑落は再び鐵器文化の發達とともにいくつかの邑落が結合しながら, 「クニ」と
いうよりおおきな單位の政治体を形成するようになった。こうしてつくられた最
初の國はいくつかの名称で呼ばれるが,ここでは少さな國という意味で小國(ショ
ウコク)と呼ぶことにする。このショウコクが發展して古代國家になるのが, 大加
耶もショウコクから出發したことだろう。
韓半島の南部地方で最初のショウコクに對する記録と國名は中國の歴史書『三國
志』に見られる。その本によれば三韓(馬韓・辰韓・弁韓)があったが馬韓には54個
のショウコクがあり, 辰韓と弁韓にはそれぞれ12個の小國があったという。それ
では高靈地域にはとんな名前のショウコクがあっただろうか?
高靈地域を基盤として成立したショウコクの名称については『三國志』弁韓12國
の中のひとつである彌烏邪馬國だと見る説と半路國だと見る説に分かれる。彌烏
邪馬國説は朝鮮時代からあった見解であり日帝時代に加耶の別の名称である任那
を日本語でミマナと讀むために推論されたのだという主張が提起され,長い間通
説となってきた。
一方半路國説は最近になって提起された主張であり『日本書紀』に出てくる高靈
が確實視される伴跛と文字の形が類似したために推論したのだろう。最近では彌
烏邪馬説より半路國説が有勢になっている。
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